前回の記事とほとんど同じです

こんにちは

今回のテーマも、長らく文章を書けなかった反省文になってしまいそうです。

 

「文章を書けない反省」でしか文章を書けない、という反省をまた文章にしようかと、ひらきなおろうかとも思っていますが、まずは言い訳から始めさせていただきます。

 

今年、4月1日から僕は正社員として働くことになりまし。

なんと人生で初めての正社員ですので、あまり余裕がなくて、家に帰っても仕事のことを考えてしまっていたり、食事睡眠で回復に専念したりで時間が無くて

じっくり文章を書くことが後回しになっている生活でした。

 

隙間時間でExcelを調べてみたり、法務や事務仕事や社内文書を調べてみたり、運動をしたりと、こまごました事はやっていたのですが、どうも文章を書こうとは思えなかった。

生意気にも「仕事のことで頭が埋め尽くされていて良い文章かけるコンディションではない」とかなんとか言い訳をしていました。

 

休日になにか本を読もうと思っても、次の日の仕事までにメモをまとめたり、今の仕事上の問題点の整理や、

 

人間関係上の問題を言語化してみたり、文章を書くということを後回しに過ごす1か月間だったのです

 

正直、今の僕にとってこの緊急事態宣言で、仕事の日数を減らされることはありがたいと思ってしまいます。

 

なんてことは正社員という立場上、職場では冗談でも口にできないですし

ツイッターなどのSNSでも、軽々しく口にはできません。

 

この誰もみていないブログだからこそ言って浄化することができます

ありがとう

 

なぜ今回、ブログを更新しようと思えたのかと言いますと

緊急事態宣言で、仕事の日数が減少し、心に少し余裕ができたというのもありますが

 

実は今さっき工藤綏夫の『キルケゴール』を読んだのが大きな原因ではなのです。

 

人生の目的を享楽することに向ける、審美的な人生と

社会的な義務を忠実に果たす、倫理的な人生とを

対立させている文章を読みました。

 

1年半ほど前は、小説を書いたり楽しんでいたのですが、最近はそういう楽しみはめっきりなくなってしまっています。

 

もう一度、そういった審美的な享楽を考える楽しさを、人生に取り戻したいのです。

人生の彩を取り戻すためにも、今回こそは、今回こそは、ブログの更新を第一に文章を書く生活を再構築していきたいと、今は思っています。

 

先日、緊急事態宣言の延長が決定されました。

それを機に、5月末までは時間の余裕があるはずです。

 

ですので、1日置きくらいでブログの更新をしていけたらいいなと思っています。

 

どんなテーマで書くのかというと

 

ハードルを上げてしまうと、僕は書けなくなってしまいそうなのでまずは

 

 

それでは次回が反省文にならないことを願って、さようなら。

審美的な生き方、について少し言語化することをめざしたいなと思います

久しぶりの文章と反省

一か月以上ブログの更新ができませんでした。

 

それが実力なのだから仕方が無いので、この一か月以上の

ブログの書けなかった時期を振り返って、今後のブログの糧にしていけたらいいなと思います

 

「文章が書きたくない時、書けない時はある」

 

今は久しぶりに長文を書くという事で、めちゃくちゃやる気満々でウキウキしていて

一か月以上の書けない期間が嘘のように、楽しくキーボードを打っています。

 

がしかし、絶対書けない時はまたやってくるし当たり前です。

 

おそらく、これは僕の予想なんですが

すごく文章の書ける人ほど「書けない」経験をしているはずで

「書けない」「浮かばない」「書きたくない」

状態と沢山向き合ってきているはずなんです。

 

だから、書けない自分を理解できるし、書けない自分を認めることもできるし

だからこそ、また書ける自分になれると信じれるのだと思います

 

この1か月、僕は

「書こうと思えば書けるけど今は書きたくない」

「無理だからもうブログは辞めた」

「パソコンを開きたくない」

と、向き合うことをせずに逃げ続けてきたように思います、自覚はありません

 

ブログ開始時はうぬぼれて、

毎日文章を書けると思っていたし

これこれの手順を踏めば、何かしらアイデアの元を見つけられて、

これくらいの時間の余白を作っておけば、書けるだろうと

わかったつもりでいました

 

そうじゃない!

書けなくなるのは当たり前で、そこでいちいちダメージを受けない事

 

良く寝たり、文章を読んだり、無理せず3日~1週間休んでみたらどうだっただろうか?

 

「もう辞めた」とか極端に走らずに、

「今日は書けるかな?」と自分の体調と向き合ってみてたらどうだったか?

 

もう少し早く復帰できたのではないでしょうか?

 

このブログを書きだした目的は、初めの記事で何か書いたはずですが

すっかり忘れてしまいました。

ですが、たぶんこういう文章を書く事が、目的だったのではないかと今は思えます

 

 

書けないことに焦らない

書けなくなっても「いつものことか」と対応する

「またいつか書きたくなる時が必ず来る」と気楽に居る

 

改めて、このブログ(文章)との付き合い方を、考え直すきっかけとして

今日記事を書きました。

 

もっと自分に優しく、ブログを継続できるように頑張ります

ありがとうございました

本を読みながら考えた事

今日は午前中に『アルゴリズム思考』という本を読みました。

 

「緊急事態宣言が今後でるかもしれない」と思い

「緊急事態宣言が出たら図書館が閉まるだろう」とも思い、

 

1/8に図書館に行って、読みたい本を借り溜めして置いたものです。

 

僕はその日、その本が借りたくて図書館に行ったのではなく、たまたま目について衝動的に借りた本が、めちゃくちゃ面白かったので、自分が発見したような気持ちで嬉しくなり、ブログに書こうと思いました。

 

という流れでここから、書評のような文章を書ければ、この『アルゴリズム思考』の良さを伝える目的は達成されやすくなるのでしょう。

 

しかし僕が書きたい内容は、書評ではありません。

この本を読みながら考えたアイデアや、自分の問題について書いていくことなのです。

 

その理由は、僕は休日の娯楽として本を読んでいます。

 

本を読みながら、著者の言葉に触発されて、普段なら考えないような問題点に気が付き、新しいアイデアが浮かんでそれを書き留めたりすることが、とても楽しいので、その楽しそうな思考の飛躍を、文章にしてみたいと思いました。

 

「文章を書く際のアイデア出し問題」と「秘書問題」

 

アルゴリズム思考』の1章の1に「秘書問題」が書かれています。

かなり端折って説明しますと、秘書の面接に応募してきた人を、面接官は何人まで検討し、どこで採用すれば、優秀な人を採用できる可能性を最大化させれるか?という問題。

 

それを読みながら僕自身の問題に引き付けました。

ブログの文章を書くときに、自分はアイデアを何個出して、何個目でそれを採用しようとしているのだろうか?と自問自答。すると

 

イデア1分の1で、そのテーマで1記事書いてしまう

 

という状況でした。

 

決して悪いとは言いませんが、なんだか雑な文章の書くプロセスだなーとは思います

 

かと言って

 

あまりに形式的に、フォーマット通りの文章を書いていても、つまらなくなってしまいますし、僕がブログを書く目的は「あーでもないこーでもない」と文章を書きたくてやっているので、ある程度自由な形では書いていきたい。

 

という訳で、せめてもう少しアイデアを出すプロセスも楽しみながら、文章を書く下準備をするというのをやってみようと思いました。

 

 

そのプロセスはこんな感じです

 

・まずアイデアを一つ出します

・そしてもう一つアイデアを出します

このアイデアが一つ目のアイデアより優れていれば、即採用で書き始めます

 

もしも一つ目のアイデアの方が良ければ

・3つ目のアイデアを出して、総合的に決定します。

 

このアルゴリズムで判断することで、気楽に一つ目のアイデアを出すことができますし

イデアを無限に出すわけじゃなく、2つ目が良ければすぐに書き出すこともできる

 

本に書かれている内容とは、かなり違ったものを受け取っていますが

この本を読まなければ、考える事の無かったアイデアでしょう

 

こんな感じで、読んだ本に影響を受けて、可能な範囲で自分の問題に引き付けて考えるのが、僕の休日の楽しみなのです。

 

決して褒められた本の読み方ではありませんが、楽しいのでよいではないかと、

思います。

 

 

 

僕はなんのために文章を書く習慣を身につけたいのでしょうか?

一月八日はめちゃくちゃ気温が低く、キーボードを打つために露出している手が寒いので、考えるときはポケットに手をつっこみ、思いついたら一気にキーボードに入力するという感じで文章を打っています。

 

最近は、仕事が終わってご飯も食べて、風呂に入りながらブログのテーマを考えて

風呂上がりにブログを書く習慣ができつつありましたが

今日はただいま午後3時にブログの文章を書き始めています。

 

少し遅めの昼食を食べて、YOUTUBEの人に

「ご飯の直後は身体をうごかさずに胃に血液を集めて硝化効率を高めろ」

と言われていたので、30分くらいゴロゴロして今に至ります。

 

今日は寒いので、この後外に出かけたり何かをする予定がないので

こんなにも、ゆったりとした気持ちで文章を書ける機会が久しぶりで

ぼんやり幸せな気持ちに包まれながら書いています。

 

僕は職業が作家ではないし、文章で生計を立てているわけでもなく

ただただ誰にも見られないブログを一人書いて勝手に、そこに意味を後付けして楽しんでいるだけなので、無駄な前置きをこんなに沢山書いちゃっています。

 

今回のブログのテーマやタイトルすら空白で、まったく何も思いついていないまま、ただ文章を書き綴っているのです。

 

ただそれでも、僕はまだ文章を書く事が日々の生活の中で習慣化されているレベルではないので、今は楽しく文章を書けているという、それだけで十分大きな成長の一歩を踏み出しているなぁと、微笑ましく客観視しようと思います。

 

僕はなんの為に文章を書く習慣を身につけたいのでしょうか?

 

・楽しいから?

・客観的に自分の何かを後から見れる記録として?

・文章がうまくなりたいの?いや、それならばもっと色んな形式の文章にチャレンジしたり、読む文章を選んだりもするのでしょう

・前々回の記事「あーでもないこーでもない」で書いたような時間の使い方がしたいから?

 

自分の成長を確認して、少しでも自分を勇気づける材料を調達しようとしているのかもしれません。

 

自分の行動の動機や目的すらわからないなぁ

 

だから自分というものを知りたいのかな?

 

ところで、動機と目的って、似ているようで全然違いますよね?

「お腹が減ったから食べる」が動機

「筋肉をつけるために食べる」が目的

 

なんでご飯を食べるんですか?という問いに対する答えとしては、どちらで答えても間違いではないけど、問いを立てた方の意図はどっちなんだろうなぁ

なんてすぐに話が脱線してしまう。

 

脱線を戻して考えると

 

どうして文章を書く習慣が欲しいの?

 

これって、動機で答えればいいの?目的で答えるの?

 

あれ?そもそも文章を書く習慣って欲しかったのかなぁ

それ自体が怪しくなってきたなぁ

 

 

よく分からなくなったけど、こんな風に迷いながら

自分の思考や言語は常に変化を続けているので、今のこの言語は今だけの限定言語で、1年後は成長しているのか退化しているかはともかく、全く違う言語になっているだろうと思いますので、成長の記録として。

 

「アルバムで瞬間を切り取って残す」その程度の価値はこのブログにあるような気がするので

下手でも、書けなくてもいいから、書き続けていけたらいいなと思います。

 

これからもどうぞ、よろしくお願いします。

2021年あけましておめでとうございます

新年あけましておめでとうございます。

 

2021がやってきましたので、年明けを記念して今思っている事を

1年単位で何か書いていけたらいいなと思います。

 

昨年は、人類や国家単位で見てみるとあまり良くなかった1年なのかもしれません

新型コロナウィルス1色と言ってもいいくらいに世界を染めた出来事です。

 

せっかく1色になったのだから、もっと海外の人とコミュニケーションをとってみてもよかったなと、今になって少し後悔をしています。

 

個人レベルで考えると、コロナの影響は沢山受けましたが

それ以外の出来事も、僕に沢山の影響を与えてくれたので

 

料理が少し上達したとか

演劇の舞台が成功したとか

下手な小説を2つ書いたとか

面白い本を買ったとか

 

小さい出来事ですが、年をとって2020年をあとから

振り返ろうとした時に、忘れたくない思い出です。

 

家族とも彼女とも友達とも、仲良く健康に過ごすことができたので

ここ10年の中では、かなり幸せな1年だったんじゃないかなと思います。

 

では今年は一体どんな年になるのでしょうか?

個人の問題では

仕事、恋愛、人間関係、生活環境、身体、にどんな変化が起こるのでしょうか?

 

人類、国家の問題では

コロナや災害、争い、発展、資本、感情、テクノロジー、がどう変化するのか?

 

今の現状が続くことはないわけで、常にずっと変化はし続けているわけで、

 

そして、変化それ自体に決められた善悪があるわけでもなく

出来事になんらかの価値づけを、人間が勝手に行っていく

 

変化を予想して準備し対応してみたり

予想できない変化には、あとから頑張って折り合いをつけていく

 

あきらめたり、助け合ったり、

 

未来のことは今の僕の実力では、どうも抽象的なことばかりで

何にも考えられていない事が、露見しただけみたいです。

 

来年の年明けには、もっと未来を明るく楽しく

具体的に語れるように育っていければいいなと、今思いました。

 

 

あーでもないこーでもない

年末ですね。

こんばんわMAGIです。

 

年末はいつもバタバタして体調を壊しやすい僕ですが、今年はコロナの影響もあって自粛ムードで静かにゆっくりと暮らしています。

 

僕にとって文章を書く事は

「あーでもないこーでもない」とコロコロ遊ぶような作業です。

 

この時間はとても貴重です。

 

大人になって色んな人と仕事で関わることが増えてくると

「あーでもないこーでもない」と言ってられなくなります。

 

聞かれたことには、すぐに返答しなくてはいけませんし

会議には時間制限があり、時間内で決定しなくてはいけません。

 

労働者がのんきにじっくり考えるなど、資本家からしてみればあるまじきことです。

 

 

 

そんな生活をしていると、自分に正直に

んーーーーあっ!・・・んーーー

 

と思考と向き合う時間は、とてもとても貴重な時間なのです。

 

気づくと失われてしまうのが「あーでもないこーでもない」です。

 

てきぱき動いて、人と関わって、信用して貰って

充実した日々を送っているような時に、失われていくものが

「あーでもないこーでもない」です。

 

 

自分自身に「あーでもないこーでもない」

と考える時間を過ごすことを許せるかどうか

 

心の中の「早くしろ!やらななきゃいけないことが山ほどあるだろぅ」

と急かしてくる資本家の言葉をなんとか無視して

少し落ち着いて、あれやこれやと考えてみましょう。

 

子どもの頃に遊んだ粘土細工はきっと楽しかったはずです

時間なんて気にせず、上手いかどうかもきにせずに

「あーでもないこーでもない」とこね続けるのです。

 

妄想で作り出した何者かが

「お前がそれをやってなんの価値があるの?」

なんて言ってくるかもしれませんが

 

それは自給で雇うためのセールストークです

やることなすこと金銭感覚で否定して、

あなたを安く叩こうとする常套句にすぎません。

 

時間を気にせず、何も産み出さず、

「あーでもないこーでもない」と過ごす時間はあるでしょう、年末なんだから。

 

 

よいお年を

 

 

一人遊びの文章からの進展を目指して

初めまして、ペンネームはMAGIです。

 

自己紹介をしようと思います。

平成元年生まれの男、5歳から22歳までスポーツばかりをして育ち、世間のことはおろか、身の回りのことにさえ、興味を持てないまま大人になってしまいました。

 

そんな状態では、社会生活はうまくいかず、仕事も長続きせず

つらい20代だったなと思います。

 

28歳からは、本を読み始めていろいろ考えこむようになり

仕事を辞めたり、始めたりを繰り返しながら現在31歳

 

SNSがずっと怖くて、あまり近寄らないようにしていました。

これからは怖がってばかりじゃなくて、コミュニケーションをとる道具として

気を付けながら利用していきたいと思います。

 

このブログを書く意義

 

令和の時代を、飯食って働いてSNSして生きているので

感じたことや、考えたことを記録して将来

子ども達にこの時代何を考えていたの?と聞かれた時に振り返えれるのでこのブログに残していきたいと思いました。

 

25歳くらいから、一年があっと言う間に過ぎていくような感覚があり

2年前にあったことと、3年前にあったことが時々わからなくなったりして

時代と自分の歴史とをセットで記録したいとも思っています。

 

いつかこのブログを見てくれた人と、交流ができるような

そんな文章を書いていけたらいいなと思います。